5つのタイプの薄い記述

教授 佐藤郁哉

 英国の社会学者であるポール・ベイトは、ある種のビジネス・ケーススタディなどに見られる特徴を指して、「お手軽な記述(quickdescription)」と呼んでいる。これは一種の語呂合わせであり、「分厚い記述(thickdescription)」という、よく知られた言葉に対する一種の対義語として使われている。実際には、「分厚い記述」の本来の対義語は「薄い記述(thindescription)」というものである。

 分厚い記述というのは、もともと米国の人類学者クリフォード・ギアツが提唱した言葉であり、主に、調査現場でつける観察記録における詳細な記述などを通して現地社会の生活と人々の行為の意味を明らかにしていくことを指していた。それが転じて今では、事例レポートなどをはじめとしてすぐれた研究報告書に盛り込まれている、現場の状況に関するリアルできめ細かい記述を指す意味でも使わることも多くなってきた。実際、すぐれたケースレポートの文面からは、それが丹念で地道な研究や実践にもとづいており、またビジネスや経営の現場の状況が丁寧に書き込まれていることが読み取れる場合が少なくない。

 もっとも、一方では、世の中には薄い記述ないしまさに「お手軽な記述」と呼ぶのがふさわしいケースレポートが少なくないこともまた事実である。そのようなレポートには、口当たりのよい言葉が散りばめられていることが多く、また一見有益な情報や実務を進める上での有効なヒントが提供されているようにも見える。しかし、実際には、本質的に薄い記述しか提示されていないのだから、それに理論的意義を認めることは困難であり、また実践上のインプリケーションもきわめて乏しいものでしかない。

 「理論構築の方法」の授業で目指してきたことの1つには、玉石混淆と言える大量のリサーチ・レポートの中から「分厚い記述」のものと「薄い記述」のものとを的確に見分け、また有効な情報を掘り起こしていくためのリテラシーを身につけていくことである。それはとりもなおさず、ビジネス・ケーススタディをはじめとする各種のリサーチ・レポートの「賢い消費者」になるための感覚やセンスを身につけていくことであり、またみずからが良質の情報の生産者になるための技量を磨いていくことでもある。

 そのような内容を含む授業において具体的な教材として使用してきたのは、経営現象を対象としておこなわれてきた既存の研究事例である。その中には、もちろん「お手本」になるような素晴らしいケーススタディも含まれている。もっとも、一方でこの数年試みてきたのは、むしろさまざまな点で問題のある、「薄い記述」的な性格を持つ研究やレポートの問題点から学ぶというやり方である。つまり「反面教師」から学ぼうというのである(その意味では、そのようなレポートの著者に対しては少し意地悪な授業であったかも知れない)。

 そのようにしてMBAの院生の皆さんと一緒に反面教師的なケーススタディを吟味してきた経験を通して明らかになってきたのは、「薄い記述」にはどうやら幾つかの特徴的なパターンが存在するということである。下にあげたのは、それを5つの型にまとめてみたものである。


1) ご都合主義的引用型――自分の主張にとって都合のよい証言や資料あるいはデータの断片を恣意的に引用した記述が中心のもの
2) キーワード偏重型――何らかのキーワード的な用語ないし概念を中心にした平板な記述の報告書や論文
3) 要因関連頭型――複数の要因(変数)間の関係を示すモデルらしきものが提示されているのだが、その根拠となる資料やデータがほとんど示されていないもの
4) ディテール偏重型――ディテールに関する記述は豊富だが、全体を貫く明確なストーリーが欠如している報告書や論文
5) 引用過多型――解説を加えずに延々と引用したもの

 実は、以上のタイプないしパターンのかなりのものは、私自身がこれまで書いてきたさまざまなタイプの報告書の記述にもあてはまるところが多い。その意味では、私自身が反面教師であったとも言える。今後はそのような点についての反省をもふまえつつ、分厚く(必ずしも分量の事ではなく、もっぱら質の評価を指している)、かつ実践的インプリケーションに富むリサーチ・レポートのあり方について模索していきたい。