外野の批判を跳ね飛ばせ:HMBAネットワークとマーキュリー会の役割

准教授 島本実

 現在、日本のMBA教育は導入期から成長期を迎えつつある。国内ビジネススクールでMBAを得た者の数が増加してきたことによって、実際にさまざまなところで徐々にその存在感が感じられるようになってきた。しかしながらこの現象への反応は残念ながらポジティブなものだけとは限らない。社会のMBAホルダーに対する期待は、その裏面にまだ若干の懐疑のまなざしを伴うものであることも否定できない。

 そうした相反する心理は、例えば先日の一部のビジネス雑誌における国内ビジネススクールに対する否定的な紹介記事からもうかがえる。紋切り型の内容からはこの記者の程度の低さが読みとれるが、それでもこうした外野の無責任な冷やかしを跳ね返すことができるかどうかは、ひとえにHMBA修了生が示しうる力量にかかっている。

 MBAをもつ者は増えたにせよ、それではその活躍の場は広がったであろうか。かつて80年代には「日本の経済成長の理由は、アメリカと違ってビジネススクールがないことだ」という冗談がまことしやかにささやかれた。現在ではこの冗談も隔世の感があるが、それではその後にMBA教育が日本において根づいたかと問われれば、それはそれでいまだ心許ない。残念なことに、目下の状況では、あらゆる日本企業のトップが戦略的な経営を進めており、それを支えるべくMBAホルダーが企業内でそれ相応の特別な活躍の場が与えられているとは言えない。幸い昨今は長期的な好況トレンドの中にあるからこの問題はクローズ・アップされていないが、これが次に不況トレンドに入るときにはまた絵に描いたような悲観論がメディアをにぎわし、自らの足下を見ることなく、好況の国や好業績の企業に学べと言う合唱が起こるであろう。しかしいつの時代においても必要なことは私たちが自らの頭で論理を組み立て、思考し、判断することである。その意味で、もはやMBAの学位はブランドではなく、ビジネスの世界で生きていくために不可欠なコンパスである。

 HMBAの使命は、そうした能力を備えた自ら思考するマネジャーの輩出にある。そのために有効な教育は、今も昔も洋の東西を問わず、院生相互間や教員院生間の濃密なコミュニケーションを通じて、論理的に読み、書き、考え、語る能力を高めることしかない。それは欧米の伝統ある大学において学生を育てる正統的な方法でもある。幸いHMBAは規模も小さく、一橋大学のゼミナールの伝統もあって、古典講読やグループワーク、ワークショップ等でそうした教育の機会を提供している。思考力を養う方法としてもしそれ以外に有効なやり方があるならば、私が教えて欲しいくらいだ。

 ここで少しだけMBAの歴史を振り返ってみよう。チャンドラーは『経営者の時代』の中で、アメリカのビジネススクールによる大学院レベルでの経営学教育が、歴史的には20世紀初頭に始まったと指摘している。この時代を境にして、医師にとってのメディカルスクール、法律家にとってのロースクールと並んで、エグゼクティブのためのビジネススクールが成立し、高度専門職業人としての経営者という認識が確立した。これは当時のアメリカにおける近代企業(モダン・ビッグ・ビジネス)の成立に付随する現象であった。チャンドラーは、その嚆矢となる出来事として、19世紀中期以降の鉄道管理者の台頭を挙げている。鉄道管理者たちは、この時期以降、高度専門知識を有するミドル・マネジメントとして一つの社会階層を作るにいたった。もちろん彼らの専門家階層としての自立にとって、大学教育による継続的な人材の輩出や企業内における職能の整備が重要であったことは論をまたない。しかしながらここで私たちが注目すべき点は、彼らが行った専門家協会の創設や業界誌等による情報・知識面での相互交流である。

 あるプロフェッショナル集団が階層となるためには、彼ら自身が共通技能に基づく連帯の自覚をもち、またその階層の存在を社会が認めることが必要であることを、経営史は教えてくれる。日本のMBAは、150年以上の時を経て、今まさにこうした鉄道管理者のたどった歴史を追いかけようとしている。戦略や組織についての深い思考ができる証明となるMBAの学位をもつビジネスマンが増加していけば、いずれそれが明確な社会階層として認識される日も遠くない。

 その途上にある現在、HMBAをはじめとする日本のMBAは、修了後に専門家階層としての情報交流を続けられるネットワークや、自らの技能を高めるような場をもっているだろうか。そのためには、まず手始めとしてマーキュリー会が親睦のためのみならず、修了生のネットワークの母胎となること、またそこでの専門家階層としての情報・知識の交流を行うことが鍵となるであろう。HMBA修了生が社会的に広く認知される専門家階層になるために、マーキュリー会が果たすべき役割は大きい。